梅雨が明けて、急に暑くなると、どうしても体調を悪くしてしまいます。夏本番となり、保育園の子どもたちが、元気に過ごせるように取り組んでいきます。
さて、教育業界でここ数年、多く使われる言葉の一つが、「アクティブラーニング」です。新学習指導要領を巡って、この言葉がどんどん一人歩きをしていきました。今は、日本語の「主体的・対話的で深い学び」に落ち着いたようです。
私たちのまわりには、カタカナ語が洪水のように氾濫しています。カタカナ語は、なぜか不安を増長するような気がしますね。
「パンデミック」「ロックダウン」「オーバーシュート」「クラスター」・・・コロナ禍では、頻繁に耳にするカタカナ語です。
その対応には、「ニューノーマル」「ステイホーム」「ソーシャルディスタンス」「オンライン」「テレワーク」そして、Withコロナ・・・
難しいことを易しく・・・できるだけ、分かりやすい言葉で・・・これが、教育の神髄のはずですが、どうしても、カッコいい響きのカタカナ語を私たちは使ってしまいますね。
しかし、明治時代には、今までの日本にはない概念の外来語を、見事な日本語に翻訳や造語した歴史があります。
「社会」「個人」「科学」「哲学」「芸術」といった言葉です。これらの言葉は、明治以降に使われた日本語なのです。
どうですか・・・カタカナ語を少し控えたくなりますね。(笑)