私が小学生の頃に使っていたクレヨンや色鉛筆には、「はだいろ」がありました。もちろん、この言葉に違和感を持ったことなど、当時の先生もなかったと思います。自然に、使っていましたね。
小学校5年の時に、同じクラスに、黒人のパパを持つハーフの男の子が転校してきました。野球小僧だった私は、体育の時間に行うソフトボールには、絶対の自信があったのですが、転校生の彼は、私の倍は肩が強くて、バッティングでは、軽々とホームランをかっ飛ばします。しかも、足が早くて、嫉妬を通り越して、脱帽でした。(笑)
その時、「やっぱり黒人の血を引く子は、運動神経が抜群にいいのだ」と子ども心に思ったものです。しかし、これは、完全な偏見です。
先日、自身の肌の色などが周囲と異なることを理由に、これまで受けてきたつらい思いを、プロ野球のオコエ瑠偉選手が、ツイッターで発信しました。彼もまた、「生まれつき運動神経がいいに決まっている」という偏見とプレッシャーを経験してきたのです。
他にも、映画でゴスペルを格好よく歌うシーンを見掛けると、黒人に対して「歌がうまい」というイメージを持った人も多いかもしれませんね。
さて、保育園の3歳児以上の「寺子屋」園児は、自分の道具箱を持っています。その中には、サクラクレパスと色鉛筆が入っていますが、そこには「肌色(はだいろ)」という表記はありません。「うすだいだいいろ」となっています。知っていましたか?
アメリカで5月下旬に黒人男性が白人警察官に首を押さえ付けられ窒息死した事件をきっかけに、世界中で大きなデモが続いています。そんなタイミングで、「クレヨンから肌色がない!」ということが、話題になっているのです。
新潟県五泉市立橋田小学校では平成28年に5年生を対象として、道徳の時間に、色鉛筆やクレヨンなどの「肌色」という表現から差別や偏見の可能性を考える授業をおこなったそうです。白っぽい色や濃い褐色などの画用紙を並べ、子どもたちにその色の集まりが何を表すものか尋ねます。そうです・・・それは、世界の人々の多様な肌の色の例です。
小学生相手に、いきなり「肌の色で人を差別してはいけない!」と始めても、「何のこっちゃ!?」となるでしょうから、色鉛筆やクレヨンという身近な文房具を題材にすることは、とても分かりやすい授業ですね。
実は、平成11年頃から、各メーカーは、「肌色」を「うすだいだいいろ」や「ペールオレンジ」という表記に変えているのです。もう、20年も前のことです。私も、保育園を始めてから「肌色がなくなった!?」と不思議に思ったものです。
肌の色を巡る差別は、あってはならないことですが、「肌色の表記がそんなに問題なの!」と思う人もいるかもしれません。ただし、子どもと人種差別の問題を話すときに、「昔は肌色という色があったんだよ・・・」と話すのは、分かりやすいかもしれませんね。