権力と校則

今日も屋上遊びができず、そのうっぷんを晴らすかのように、階段トレーニングをしました。1歳児も小学生の手を借りて、階段を上る練習です。大きい園児は、競争に燃えました。

 

さて、ここで問題です。「手に持ったら振り回したくなるもの・・・なーんだ?」

 

それは、「棒切れです」「傘でゴルフスイングです」と答えた方。間違えではないですが、もっと深い答えは・・・・そう、「権力」です。

 

今日も、卒園児の小学生が保育園に学童でやってきましたが、「○○委員」というのが必ずありますね。初めて風紀委員になったのなら、最初によくやるのが「廊下を走るな」「図書館では静かに」「ポイ捨て禁止」などの掲示物作りです。これを初めて権力を手にした人の行動として考えてみます。

 

掲示に従わない生徒児童がいたら、最初は「口頭注意」、それでも変わらなければ「上位組織(教師)への報告」、やがて「罰則」に発展していきます。しかし、実際には、罰則もペナルティーもさほど効果がなく、風紀委員のほんの少しの自己満足と違反生徒との争いによる徒労感を残して、任期満了となります。次の委員も、同じことの繰り返し・・・

 

昨今の緊急事態宣言の渦中では「自粛警察」の存在が騒がれましたが、私の小学校時代は、「○○警察」がたくさんいました。「せーんせいにいってやるからな」というセリフを何度言われたことか・・・(笑)

 

ある校長先生が、「校則」について、こう言っています。

 

「学校は、ハウスルールの宝庫です。禁止命令文が多い。世間じゃ何でもないようなことが学校じゃ許されないということがたくさんあります。新任教員時代は、校則に従わない生徒との攻防で疲弊しました。後で考えたら、目くじら立てるようなことではなかったのに、何でこの規則のために互いに嫌な思いをしちゃったんだろう。校則を守らせる権力者と支配される生徒の関係だった」

 

「現在は、校則のゆるい学校に勤務しているが、それによる混乱はない。日本の校則を『社会で駄目なことは学校の中でも駄目。法と人権を守る』という切り口で検証すればもっとシンプルになる」

 

どうですか。この校長先生の言っていることは、的を得ていますね。私の長女が通っていた女子高には、校則がありませんでした。「校則がなかったら、みんな茶髪にして学校が乱れるんじゃないの?」と娘に聞くと、「校則がないってことは、自分でちゃんとしなくちゃいけないから、そんな子が出てこないんだよ」と言っていました。

 

「校則」を操ることが、権力を持つことにつながるという考えは、今まで持ったことはなかったのですが、どの時代でも、国家から小さな組織に至るまで、「権力」を握った者が、すばらしい行動を起こした例は、ほとんどありません。

 

子どもたちには、「校則という名の権力」でがんじがらめにするのではなく、「自由という名の責任」と、社会と同じルールを与えることが、私たち大人の役割なのかもしれませんね。