知覧特攻平和会館

今日は7月7日七夕ですね。毎年、七夕の日は梅雨が明けていないことがほとんどで、年に一回の織姫彦星も会えずじまいで終りそうですね。保育園では、午後のおやつに、星と天の川とあしらった「七夕ゼリー」を食べました。子どもたちは、大喜びです。

 

さて、新型コロナウイルスの影響で、修学旅行が中止に追い込まれる学校も多いと聞きますが、「修学旅行の灯を消してはいけない」という考えも広がってきたようです。新型コロナウイルス騒動で、私たちは、いかに日常の生活が平和であることに気がつきました。

 

修学旅行では、「平和・命の尊さ」を学ぶ動きがあるようです。

 

鹿児島県南九州市にある「知覧特攻平和会館」というところをご存知ですか。私は、今から30年以上前、学生の頃にここを訪れ、広島の原爆資料館を訪れた時と同じ衝撃を受けました。今でも鮮明に覚えています。

 

鹿児島県の知覧(ちらん)は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において、「特攻」という人類史上類のない作戦で、爆弾を積んだ飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした出撃基地だったのです。

 

欧米諸国の人にとっては、自分の命を犠牲にして、このような特攻隊という戦法に従う人が、どれだけいるだろうかと考えます。当時の、日本人の若者は、「お国のために自分の命を捧げる」ことを当たり前のことだと考えたのです。

 

コロナウイルスの影響で、世界中で多くの死者が出ました。国によっては、ロックダウン(都市封鎖)という強硬手段をとらないと、国民の統制が取れない国も多くありました。しかし、日本人は、「自粛要請」という強制力を持たない内容でも、外出を控え、マスクをし、ソーシャルディスタンスを守り、世界の中では、奇跡と言われる死者の少なさを今も維持しています。

 

知覧から特攻隊で飛び立った若者も、そんな日本人気質がさせたかと思うと、とても複雑な思いになりますね。しかし、この地は、二度とこのような悲劇を生み出す戦争を起こしてはならないという誓いの場所でもあるのです。

 

ここには、語り部の方々がいます。軍隊出身の戦争を知る世代の人も、戦後生まれの人もいます。語り部の話から「当時の若者たちが戦争に巻き込まれた歴史」が深く心に刻まれます。そして、今から旅立つ若者が、母に宛てた手紙は、読んでいるだけで辛くなってきます。親への感謝と日本のためにこの命を捧げる決意が記されていました。

 

今こそ、この知覧に、多くの修学旅行生が訪れて、平和と命の尊さを学んでもらいたいですね。是非とも、知覧を一度は訪れてください。