マスクマン

今日から保育園も5月6日まで4連休となります。子どもたちは、今年のゴールデンウイークは、おじいちゃんおばあちゃんが待つ、地方への帰省は自粛しているので、家族中心のゴールデンウイークを楽しむことになります。

 

昨日、保育園が終わって、1Fの食品フロアで買い物をしていると、マスクをしていない人はゼロでした。マスクをすることが当たり前の生活から、早く解放されたいものですね。

 

さて、今日は、同じマスクでも、プロレスのマスクマン(覆面レスラー)の話をします。昨年3月に、ザ・デストロイヤーさんが、88歳で亡くなりました。私よりも上の世代の昭和の話ですが、戦後の力道山から、ジャイアント馬場・アントニオ猪木と闘い続けた、日本で最初に親しまれたマスクマンレスラーです。

 

赤と白のいかにも手作り感覚のマスクをつけたデストロイヤーさんは、現役時代は、空港での出入国の際も覆面をつけたままでパスできたそうです。私が小学生の頃には、教室でデストロイヤー選手の得意技「足四の字固め(フィギュア・フォー・レッグロック)」が流行したものです。本当に痛かったですね。(笑)

 

メキシコの「ミルマスカラス」選手が、次の世代のマスクマンとして人気を得ます。「スカイハイ」のテーマ曲が流れると、会場が大盛り上がりです。メキシコでは、プロレスを「ルチャ・リブレ」と言って、もともとスペインから独立を勝ち取る儀式であり祭りだったそうです。ルチャリブレとは自由な戦い、自由への戦いという意味があり、リング上の勧善懲悪にスペイン圧政からの解放を重ね合わせて、リンピオ(善玉)とルード(悪玉)を分かりやすくしたためにマスクが一般化したようです。

 

また、プロレスラーだけでは食べていけないので、昼は普通の仕事をして、夜は覆面レスターとして身分を隠して戦ったのです。神父が覆面レスラーなんていう映画もありましたね。

 

そして、私の世代で一番熱くなったマスクマンは、佐山聡こと初代タイガーマスクです。新しいヒーローとして売り出す時や、海外武者修行を終えて帰国した時に、素顔ではインパクトが弱いので、マスクマンとしてデビューさせることがプロレス界では一般的です。

 

初代タイガーマスクは、キャラクターのインパクトに負けないくらい強くて、プロレス界の革命とも言われました。2代目タイガーマスクは、私の大学の先輩の高校時代の同級生だった三沢光晴さんです。彼は、ジャイアント馬場さんに「タイガーマスクになれ!」命じられて、いやいやマスクマンになります。

 

しかし、「俺は三沢光晴だ!」という思いが強くなり、ある試合が終わると、リング上でタイガーマスクを外してしまうのです。このシーンも衝撃的でしたね。

 

誰にでもある「変身願望」「もう一人の自分の存在」「光と影」・・・そんな思いをマスクマンこと覆面レスラーは抱きながら試合をするのです。

 

これ以上続けると、より細かい話になってしまいますので、プロレスやマスクマンに興味のない方で、ここまでお付き合いしていただいた方・・・ありがとうございました。