ひび割れつぼ

今日の寺子屋は、「お仕事の話」です。色々な仕事のイラストを見ながら、子どもたちと仕事について考えます。「どうして仕事をするの?」から、「パパママの仕事」に、「大きくなったらどんな仕事をしたいか?」・・・新人寺子屋も「ハイハイ!」と積極的に手を挙げます。寺子屋では、いい学び合いとなりましたが、自粛要請によって、「お仕事」がままならない人たちのことを考えると、早く、思う存分仕事ができる日が来ることを祈るばかりです。

 

さて、昨日は安積得也さんの詩の中で、「種子(たね)」の話をしましたが、今日も花の種がでてくるインドの寓話を紹介します。よみ人知らずの物語です。

 

「ひび割れつぼ」

水運び人が、2つのつぼを肩にかけて、ご主人のために毎日水を運んでいました。片方のつぼには、ひび割れがあったので、いつも水が半分こぼれていました。もう片方のつぼは、自分は役目を十分果たしていると、いつも満足していました。ひび割れのつぼは、自分のひび割れを情けなく思い、みじめな気持ちになってきました。

 

半年が経ち、ひび割れのつぼは、とうとう水運び人にこう言いました。「私にはひび割れがあって毎日水が半分こぼれ、あなたの役に半分しかたっていません。本当にごめんなさい」

 

水運び人は、ひび割れのつぼに優しく言いました。「今度歩く時に、道端の花をよく見てごらん」そう言われて、ひび割れつぼ、初めて毎日通る道にきれいな花が咲いていることに気づきました。そして、美しい花を見て、とても優しい気持ちになりました。しかし、屋敷に着いた時、やはり水は半分しかありません。「私は役に立たないつぼだ」と、ふさぎ込むひび割れつぼに、水運び人は言いました。

 

「気がつかなかったかい。道端の花はお前の側しか咲いていなかっただろ。私は、お前のひび割れを知ってから、お前の通る道に花の種をまいておいたのだよ。毎日その花を切り、ご主人の食卓に飾ってきた。お前のお陰でご主人は、綺麗な花を眺めながら食事を楽しむ事ができるのだよ」

 

どうですか・・・いい話ですね。この話に例えるなら、私なんか、ひび割れだらけのつぼです。それを、少しだけ長く生きた経験と周りの支えで、やりくりできているようなものです。

 

この話を、子どもたちや、「部下に恵まれない・・・上司がつかえない・・・」と嘆く組織人に当てはめると、いろいろな思いや考えが巡りますね。

 

完璧な人間などいなくて、誰しもみんなユニークなひび割れをもっているのではないでしょうか。人のひび割れ見つけたとき、私たちがやることは、ひび割れを責めることではありません。ひび割れをふさいであげることでもありません。この物語のように、ひび割れから水がこぼれ落ちるその場所に、そっと種を蒔いてあげることです。

 

どんな種を蒔くかは、もちろん、あなた次第です。