今日は、年長年中園児を連れて、「あずみ苑」という高齢者福祉施設を訪問しました。年3回の恒例行事ですが、子どもたちにとっては、お楽しみの行事の一つになっています。自分たちの歌とダンスに、おじいちゃんおばあちゃん が喜んでくれることや、インタビューをされることが楽しみのようです。
今回は、カラオケで「ドレミのうた」などを歌ったので、マイク争奪戦となっていました。(笑)
さて、子どもを公園に連れて行った時に「ブランコをこいでいるそばは危ないから気をつけて」と大事な注意だけをして、そっと見ているのは「見守り」です。
それに対して、「危ない!そっちいっちゃダメ!」「ママから離れてはダメよ」など、子どもの行動に過剰に口出しすると、「監視」になってしまいますね。
では、「見守り」ではなく、「監視」になってしまう理由は何でしょうか。それは、子どもへの信頼があるかないかだと言われてます。
見守るとは、「見て・守る」ことです。まずは、子どもの今日の姿を見ましょう。子どものできることは日々変わっていきます。それに合わせて、親の距離感も変える必要があるのです。
保育園でも、階段ロッカーを上がって、窓から外を見るのが、子どもたちの大好きな行為ですが、まだ小さい子は、上れるけど降りることができないことが多く、落下しないように、職員が手を貸します。しかし、いつの間にか、子どもの成長と共に、その必要はなくなります。
子どもの成長を見ながら、職員の「見守る」という距離感も変わっていくのです。
では、この距離感をどうやって決めるか・・・ですね。
コツは「今できていること」を見ることです。子どもたちへの信頼につながる「○○君は、△△ができる」などの材料を意識して集めるようになれば、「監視」モードがぐっとダウンしていきます。すると、「監視」されていない子どもは、自分の基準で「いい」と思うことに取り組むのです。
過剰な手出しや口出しをしない、親の「見守る力」が、子どもの挑戦を後押しし、自主性を引き出す役割を果たすのです。
どうですか?私たち大人は、もう一度、子どもを「見守る」距離を考えないといけないようです。