保育園入園希望の保護者に、異年齢保育の説明をする時は、「大人になって社会に出れば、同じ年齢や学年の組織やチームは存在しません。異年齢保育は、子どもたちにとって、必然的な環境です」という話をします。
もっとわかりやすく言えば、「同じ年に生まれた人たちだけからなる集団って、学校以外にはありますか?」で、表現できます。
同じ年齢の子どもが教室に集まり、教師が一斉に教える・・・こんな「学校の当たり前」が出現したのは、長い人類の歴史のスパンで考えると、つい最近なのです。
日本では、江戸時代の「寺子屋」や「私塾」は、異年齢同士が学び合う環境でした。世界では、産業革命が進んだ19世紀のことです。西欧の学校も中世までは、年齢がまちまちの子が一つの部屋で、習熟度に応じて学んでいました。
しかし、産業革命が進むと、工場で効率よく働かせるために「読み書き・計算」ができる労働者階級の子を迅速・大量に育てる必要が出てきました。そこで、英国で考え出されたのが、マニュアル化された教育法です。
それが発展し、あらかじめ年齢別に決められた内容を一斉に教える「学級」ができたのです。日本でも、明治5年に「学制」(教育制度)を導入し、広がっていきます。ここで、「一斉授業」を最初に試みたと言われています。
かなり、強引な考え方ですが、旅行から冒険性や偶発性をなくして、安上がりで気軽に参加できるようにした、パック旅行と同じく、学校も「読み書き・計算」を低コストで効率的に教えるための集団として、「学年学級制」を広めていった。それが加速し「子どもの生活のすべて」を抱え込むようになり、機能不全に陥ったと唱える学者もいます。
もっと言えば、「みんなで同じことを、同じペースで一斉に勉強させるベルトコンベアーのようなシステムは、多様な子が混ざれば機能しなくなる。その恐れが、人と違うことを嫌い、異質なものを排除する力学を生んでいる」と、教育哲学者の苫野一徳氏が語ります。
これも、強引ですが、「いじめ」の根本的解決法は、「学年学級制」をなくすことと言う人もいます。中学1年から3年までの異年齢学級があるならば、そこにいじめが発生するシーンは、確かに想像できませんね。
この春、日本で初めて「異年齢教育」のイエナプラン校である「大日向小学校」が、長野県にできました。また、教育哲学者の苫野氏が中心となって、2020年軽井沢に、「3歳から15歳が混じり合って学ぶ「軽井沢風越学園」が開校します。
未来の学校の姿は、幼児も小学生も中学生も、高齢者も外国人も学ぶ、ごちゃまぜなラーニングセンターのような形になるのではないか・・・と言われています。意外に、近い将来のことかもしれませんね。
さて、「学年学級制」「異年齢教育」・・・について、あなたはどう考えますか?