昨夜のおやじ飲み会は、学生時代のソフトボール部の仲間なのですが、1つ下の後輩に、私の知る限り最高のコミュニケーション能力を持ち「名幹事」として、毎年数回、こういった席を企画してくれる人物がいます。
50歳を過ぎて、今の会社で役員になるならともかく、役職定年となり、言葉は悪いが、会社に居座るような仕事になるのであれば、何か自分のやりたい事で起業したいと考えています。今は、まだ自分がやりたい事が見つけられていません。
起業するには、漠然と「起業したいな~」では、前には進みません。人生をかけるような覚悟が必要です。次回、来年夏の飲み会までに、「やりたい事を見つける」が先輩からの彼への宿題です。彼の能力があれば、必ず、見つけ出すことでしょう。
さて、今日は、今年の6月、日本で22番目の世界遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」についての話です。
私の高校時代の修学旅行は、九州、熊本長崎方面への3泊4日の行程でした。当時の国語の先生の課題は、遠藤周作氏の「沈黙」を読むべしです。島原・天草の乱以降、幕府のキリスト教弾圧がさらに激しくなる中、イエズス会の宣教師ロドリゴが長崎の五島列島に潜入します。しかし、長崎奉行所に連行されてしまいます。
ロドリゴは、苦渋の思いで「踏み絵」を踏んで棄教を選択するのです。なぜなら、自分が棄教しなければ、多くの信者が殺されてしまうからです。このような状況にあっても、「神は沈黙を守っているだけなのか・・・」というのが、「沈黙」というタイトルにつながっています。
当時の私は、この本で初めて「かくれキリシタン」という存在を知ります。江戸前期のキリスト禁教令発布から1873年の解除まで、約260年にわたる弾圧下において、「かくれキリシタン」として、独自の信仰を守り続けたのです。
しかし、今回の世界遺産登録では「潜伏キリシタン」という表記がされています。「かくれキリシタン」と「潜伏キリシタン」は、どう違うの?と、疑問に思った私です。
実は、この2つは明確に違うそうです。明治になって禁教が解かれたときにカトリックに復帰した信者たちを「潜伏キリシタン」、一方で、カトリックに復帰しないで潜伏期以来の儀礼や行事を守ってきた人たちを「かくれキリシタン」と呼び分けているとのこと。
これ以上の詳しい内容は、私も勉強不足で、このブログで続けることはできませんが、世界遺産登録後には、テレビなどで、長崎五島列島の自然やグルメが多く報道されています。しかし、「世界遺産になったからといって、何も変わらない。われわれは、静かに祈るだけ」という信者の歴史も学びたくなりますね。
つくづく、歴史から学ぶことが多いと思うこの頃です・・・年かな?