いろとりどりの親子

昨夜の研究発表会では、花よりも草を子どもたちの遊びに上手に取り入れている保育園の発表がありました。花から色水を作るのは、多くの保育園でも行われる遊びですが、ミントなどのハーブの香りを楽しんだり、雑草をつかったネックレスや、花束(草束)を豪華にアレンジするなど、参考になる取組みでした。

 

屋上に、ハーブガーデンを作って、ファームで収穫したミニトマトやきゅうりのもぎたてを食べるように、子どもたちとハーブティーを作って飲んでみたり、おやつのトッピングで使ってみたり・・・チョコミントのアイスクリームが好きな子どもが多いので、本物のミントを食べる経験もいいかな~と思っています。来年春以降の取組みです。

 

さて、今日は映画「いろとりどりの親子」について話をします。この映画は、日本では、明日公開されるアメリカの映画です。登場するのは、障害や同性愛、犯罪の子を持つ親など、様々な「違い」を乗り越えた6つの家族の「受容と愛」の物語です。

 

私はまだ、この映画を見ていないので、ドレッツイン監督がある日本の高校2年生を対象に、多様性を考える特別授業を行った時の、生徒からのいくつかの質問と、それに対する督のコメントを紹介します。当然、高校生はこの映画を見ています。

 

「今は障碍者と接する機会が少ないけど、将来的に接したとき、『違い』が見えてくる。そのとき、肯定しようと思っていても、そこで差別を感じてしまうのではないか」と高校生が尋ねます。

 

監督は「今回の映画を作っていて、私自身が持っていた『ぎこちなさ』や差別に近い感情は、障害者の近くで接することで消えていきました」と答えます。

 

すると、別の女子生徒が「誰でも初対面の人にはぎこちなさを感じるもの。障害者だけに焦点を当てて描くのは逆に差別的とも言えるのでは?」と問いかけます。

 

「その通り。この映画では確かに極端なケースに焦点を当てている。1つのレッスンとして、多くの人に今回のテーマを感じてもらいたいから」と監督。 

男子生徒の一人が「映画に登場する6つの家族は、困難を乗り越えている。乗り越えられなかった家族を取り上げなかった理由は何か」と質問します。

監督は「すべての家庭が壁を乗り越えられたとは思っていません。毎日、葛藤が続いている家族もいる。誰もが、苦しい状況の中でも、そこに意義深いものを見いだすことは可能だし、そのようにものの見方は変えられる。それこそが物語から学べる部分ではないでしょうか」と問いかけます。 

「私も含め、障害者が近くにいない人は『障害者の人生は辛いものだ』と勝手に思ってしまいます。もちろん困難な場合もありますが、それがアイデンティティーになり、誇りに思っているのです」・・・

と話はまだ終わらないのですが、この映画を見ていなくても、「違い」を受け入れる社会へ・・・という視点で、一度考えてみませんか。