学校に行かないという選択 つづき

不登校の子どもたちに対して、かつては「とりあえず・・・学校へ行こうよ・・・卒業だけはしておかないと…就職だって不利だから・・・」といった指導が行われていましたが、今では、「学校に行かない選択肢もあり」という認識が定着してきました。

 

「逃げる」と否定するのではなく、「逃げることも時と場合によっては必要」という考えです。そして、何より学校現場で最優先されることは、「命を大切にする」ことです。

 

かつて、私がお世話になった、当時のさいたま市の教育長は、「まずは、子どもを死なせないこと・・・不登校対策はその次に考える」とはっきりとおっしゃっていました。つまり、自殺という悲しいことが起きないようにすることが第一という考えです。

 

話は変わりますが、猛烈会社員の悲哀としてよく言われることは、定年退職後、することが何もなくなって、悲しい老後を過ごす人が多い・・・は、かつて戦後の高度成長期を会社のために、日本のために懸命に働いた人の話ですが、彼らの心地よい居場所は、どこにあると思いますか?

 

もうおわかりですね。家ではありません。毎日朝早く出勤し、終電で帰宅。家族との生活を犠牲にしているのですから、居場所は「会社」しかないのです。仕事中心で、趣味も仕事以外の人脈もなく、「会社」に行かなくなると、何もなくなってしまうのです。

 

心地よい居場所を多く持っている人が、楽しい人生につながると、私は勝手に思っています。私事ですが、サラリーマン時代は、家(居場所でした・・・)、会社、中学高校時代の仲間、大学時代の仲間の4つくらいしか居場所がありませんでした。

 

それが、PTA活動に関わるようになって、学校、PTAの凄いパパママ、地域の人たち・・などなど、居場所が増えました。

 

保育園の子どもたちにとっても、保育園が心地よい居場所になり、好きなことや熱中できることが見つかる場所になってもらいたいと思っています。卒園児の小学生が、保育園に登園するのも、心地よい居場所になっているからです。

 

日本の学校は、今大きく変わろうとしています。テレビ番組では、「子どもに勉強を教える場所ではなく、子どもに夢を描かせるような場所でないといけない」と言います。学年や授業時間という概念も自由に選択できる時代になってきました。

 

私たち大人は、子どもたちが不登校にならないための絶対の回答は持っていません。しかし、居場所を見つけたり、提供したりする事ならできますね。そこから先は、子どもたちが自分で道を切り開いていかないといけません。自分で考えないといけないのです。

 

今は、学校へ行かないばかりか、自分でやりたいことが見つからない若者が、時間がかかっても、自分で答えを出せるように、前を向いてほしいですね。