二項対立的な問い

昨日の夕方の自由時間・・・小学生を含めた素晴らしい遊びがありました。マットの上に、ハンカチなどの布を使って部屋をくくり、その部屋ごとに素敵な演出を保育園にあるグッツを使って展開します。

 

通常の保育園で行われる「ごっこ遊び」の究極パターンです。役割分担も明確で、大人が見ても惚れ惚れするようなシーンでした。

 

また、今日は、台風の影響をあまり受けなかったので、屋上遊びができました。夏の間は、プールが中心ですが、今日は久々の自転車遊びで、子どもたちは盛り上がります。女子は花壇に咲く百日草をつんでいます。

 

昨日今日と、そんな子どもたちの「自分で作る遊び」を見てうれしくなりましたね。

 

さて、物事を考える時、対立軸を立て、比較や対比を行いながら考えると、物事の相違点が強調され、特徴を把握しやすくなります。例えば「国際貿易において、保護貿易と自由貿易のどちらが国民にとって有益か?」という二項対立的な問いは、ディベートという形で用いられます。

 

ディベートは、一時、論理的思考や、人前で発言するというプレゼンテーション能力のアップのために有効な手法と、中学や高校の授業などでも、さかんに取り入れられました。

 

しかし、現在の考え方は、そうではないようです。「答えがない問いに対して考える」「自分で答えを見つける」という時に、問題の解答は、2つから1つを選ぶという単純なものではなくなってきているからです。

 

「教育は子どもの幸せのためにあるのか、国家を存続・発展させるためにあるのか?」

これは、二項対立的な問いです。これでは、どちらか1つを選ぶしか解答がありません。

 

そこで、二項対立を解消した問いにするとこうなります。「教育はどのような意味において子どもたちのためにあり、またどのような意味において国や社会のためにあるのか?」

 

どうですか。このような問いであれば、解答も人それぞれ違ってきますね。

 

よく言いませんか?・・・

「毎日仕事が遅いけど・・・あなたは仕事と家族とどっちが大事なの?」

「〇〇ちゃん・・・ママとパパではどっちが好きなの?」

 

当然、「どのようなとき」「どんな場合」によって、状況は変わってくるので、どちらか1つを選べばいいという問題ではありませんね。

 

子どもたちの主体性を引き出すためには、私たちが意識して、二項対立的な問いを解消する必要があるかもしれません。現実社会では「物事の置かれた状況や条件により解釈が異なること」は日常茶飯事です。答えは1つではありませんね。

 

子どもたちへのクイズなら、2択、3択もありですが、「問い」を深めるためには、二項対立的な考えはNGのようです。みなさんはどう考えますか。