今日の寺子屋は、みっちりと学習の時間です。3歳児4歳児5歳児ごとに、小学生の学習塾講師の経験のある先生が担当します。3歳児は、鉛筆の持ち方と筆圧をかけて太く書く練習です。子どもたちは、6Bの鉛筆を使います。
保育園で学ぶ、「認知能力」の部分です。これも大事ですね。
さて、最近は、学校の教師に対して「こんなやり方では一般の企業では通用しない!」と言われることが多くなってきました。私も、民間企業出身の園長ですので、新卒の教師が、ろくに世間を知らないで、子どもたちからも保護者からも「先生」と呼ばれ、中には、勘違いする先生が出てくる・・・という発言もしてきました。
先生の中にも「やっぱり、私たちは世間知らずなんでしょうね・・・」と悩む人もいます。
しかし、別の考え方では、「教師が、なぜ一般企業で通用しなければならないんですか?そうです。私は、企業人ではなく教育者ですから」とも言えます。
私立の学校なら、教育と同時に学校経営をしなければなりません。民間人校長が、利益を追求したり、効率を求めることは、現実的に必要です。しかし、ずっと教師をしている人は、「損得を考えない人」です。どんなに、しんどいことがあっても、子どもの笑顔を見ると、それで満足するし、つらさも吹っ飛んでしまうといいます。
よく教師の「働き方改革」で、長時間労働や部活動で休みがない教師ががんばれるのも、「損得を考えない人」だからなのかもしれません。
日本の教育を担った、生え抜き教師の存在と、一般企業を経験した「よのなか」を子どもたちに教えることができる人や、いい意味で、利益や効率を考えることができる人が、バランスよく配置された学校が、これからの日本の教育や働き方の改革につながっていくのだと、強く思っています。これは、私の核となる考えの一つです。