埼玉自慢~女医1号・2号~

今日は、自宅窓の大掃除です。水を使うので、今日のような暖かい日がいいのです。(年末の大掃除をさぼった言い訳です・・・)見た目を意識した格子窓は、すき間にゴミがたまり、黒カビもあります。歯ブラシを使って、サッシの間も、これでもか!と入念に洗いました。きれいになった窓ガラスを見ながら、満足感に浸ります。(笑)

 

さて、今日は、埼玉自慢をします。日本人女性初の国家資格を持った医師は、埼玉県出身の「荻野吟子(おぎのぎんこ)」さんです。

 

渡辺淳一さんの著作「花埋み(はなうずみ)」が発表されるまでは、あまり知られていなかった女性です。16歳で結婚し、2年後に夫からうつされた性病を理由に離婚されます。異性に診察される屈辱に耐えかねた彼女は、同じ苦しみにあえぐ女性を救うべく、様々な偏見と障害を乗りこえて医師の資格を得ます。明治18年、35歳の時でした。

 

やっと開業した医院は、前を通っても気づかれないほど地味で小さかったそうです。これが、秘かに訪れる婦人たちの口コミにより、玄関は下駄であふれたそうです。診療時間外に来る患者にも喜んで対応したといいます。

 

そして女性のための社会運動にも参画し、必死に生きるその波瀾の生涯を送った女性でした。

 

埼玉自慢は、これだけでは終わりません。何と、女医2号も、埼玉県深谷生まれの「生沢クノ(いくざわくの)」さんです。

 

彼女は、東亜医学校に通うものの、女人禁制だったので、男装して通ったそうです。男子教室の隣の片隅に机を1つだけ与えられて、男子学生からは「別室先生」とからかわれ、男尊女卑の封建的な壁と戦い続けます。当時は、「女が試験を受けるなんて・・・バカバカしい」と言われた時代です。

 

どうですか、せっかくですので、埼玉県から女医1号、2号がでたことを覚えておいてください。いつか、朝ドラの主人公になるかもしれません。