「おせっかい」が子育てを救う

今日も初夏の陽気の中、子どもたちは「屋上の春を探そう!」と、色々な花を摘んでいました。桜のように派手な花もいいですが、屋上の片隅にひっそりと咲く花も、なかなかいいものです。

 

さて、「おせっかい」という言葉は、どちらかというと、マイナスイメージが強いですが、今日は、この「おせっかい」が、子育てママを救うという話です。

 

想像してください・・・電車の中で、とても疲れた顔をして1歳前後の子どもにスマホの動画を見せ続ける母親の姿があります。子どもは、何かを訴えようとしていますが、母親がほとんど応じないので、子どもは動画を見続けています。

 

みなさんはどうですか。そんな姿を想像すると、悲しくて、心配になってしまいますね。それとも、「けしからんママだ!」と怒りがこみ上げてきましたか・・・この母親を責めるのは簡単ですが、もっと深く考えてみましょう。

 

この母親が置かれている状況、さらには現代の日本の子育て環境を問い直すことが大切です。

 

映画、3丁目の夕日の時代は、昭和30年、40年代です。昭和39年に最初の東京オリンピックが開催され、夢の超特急「新幹線」が開業しました。子育てにかかわる大人は、母親だけでなく、近所の世話好きなおばさん、おやじたちが、深くかかわり、そこには数えきれないほどの「おせっかい」がありました。

 

電車の母親には、「おせっかい」的な支えが得られていたのでしょうか。恐らく、自分一人で子育てを抱え込み、疲れ果ててしまったのかもしれませんね。

 

ヒトの赤ちゃんは、他の動物のように、生まれてすぐに歩き出すことはできません。とても未熟な状態で生まれます。成長するまで多くの大人の支えが必要です。テマヒマがとてもかかるのです。

 

専門家によると、ヒトの子育ては、母親一人が担うようには進化してこなかったと言います。日本なら、3丁目の夕日の時代までは、テマヒマかかる子育てをまわりの大人がみんなで支えていたのでしょう。歴史時間で言えば、ほんの最近まではそうだったのです。

 

そして、人口の都市部への集中や核家族化、少子化が進み、今では、まわりの「おせっかい」が極端に少ない環境なのです。今から、3丁目の夕日の頃には戻れません。とても難しいことではありますが、現代版「おせっかい」社会が、次世代を育てる子育て環境に必要であることは、間違いありません。

 

私たちで、考えていかないといけませんね。