東日本大震災が起きた2011年の3月11日は金曜日でした。今日で震災から7回目の3月11日ですが、日曜日で朝からいい天気ということもあり、何だか、冷静に震災のことを考える気持ちになっている人も多いのではないかと思います。
我が家では、必ず3・11には、震災時に何をしていたかを振り返ります。妻は義理の父の診察で病院にいました。長女は高校、長男は中学、次女は小学校で授業中でした。長男と次女は、歩いて帰宅し、長女は川越の高校でしたので、夜中まで体育館で待機、妻が車で迎えにいきました。
私は、会社のオフィスで、「このままビルが崩壊するのでは・・」という恐怖を感じ、店舗などの各方面との連絡に追われていました。交通機関も乱れ、電話もつながらない中で、悲劇的なテレビ報道を見つめていました。
子どもたちに、震災のことを語り継ぐには、まずは、親としての経験を語ることが大切です。震災から7年が経過し、保育園ホワイトきゃんばすの園児もついに、震災を経験した園児がゼロになりました。現在の年長園児は、かろうじてママのお腹にいましたが、まだ生まれていません。
今回、地震体験車を子どもたちは経験しました。「みんなが大人になるまでに、いつか、大地震を経験するかもしれないので、今日はその練習をしたんだよ・・・」の言葉に、真剣に耳を傾ける子どもたちがいました。
福島県の浪江町は、ほぼさいたま市と同じくらいの面積です。震災時には、約2万1430人いた人口も、現在町で暮らす人たちは、351世帯516人で、今も多くの人が避難しています。埼玉県にも690人が避難しています。
昨年12月に復興庁が、避難民に対して行った調査では「帰還しないと決めている」が49.5%で、「まだ判断がつかない」が31.6%だったそうです。帰還しない理由としては「医療機関に不安があるから」「原子力発電所の安全性に不安があるから」「避難先の方が生活利便性が高いから」などが上位を占めています。
人は、自分の故郷で最期まで暮らしたいという想いが強いものですが、「帰還しない」と決めた背景には、未来への失望があるのかもしれません。現在暮らしている351世帯の中には、子育て世代は極端に低いそうです。我が子の未来を託すことができないという現状を何とかしないといけません。
7年という歳月で、目に見える部分での復興は進んでいるのかもしれませんが、目に見えない部分は、まだまだこれからというのが現実です。「震災後の我が町をこうしていく」という明確なビジョンをもう一度つくり直さなければ、明日の日本を担う子どもたちが戻ってきません。
行政だけが考える問題ではなくなってきました。私たち日本人も「未来への希望」「将来のビジョン」について全員で考えなければならない大きな課題です。