排除する・・・

今日は、台風一過で、富士山もばっちりの青空でしたが、北風が強く寒かったですね。屋上遊びも、北風に耐えられた園児は、両手をひろげて風を感じます。自然の力を体を張って受け止めました。

 

さて、今日は「排除する」という言葉を考えてみます。希望の党の小池百合子代表の「排除する」という言葉が、ここまで、負のインパクトが強くなるとは・・・言葉の恐ろしさを感じた次第です。

 

「排除」という言葉は、間違いなく、強烈なマイナス言葉です。私が愛する新明解国語辞典によると、「あってはいけない物としてとりのけて、そこから無くすこと」とあります。かなり強烈なマイナスのオーラが漂っていますね。(笑)

 

ナチスのユダヤ人排除・・・アメリカにおける黒人の排除・・・ハンセン病患者の隔離病棟への排除・・・障害者への排除・・・まだまだあげればキリがありませんが、この暴力的な言葉は、私たちの潜在意識の中で、「嫌な感じ」となります。

 

いじめの問題も、クラスの中でいじめの対象とされる児童や生徒が、「排除」されるという図式でもあります。

 

しかし、現実の社会では、例えば、会社など、自分が所属する組織の中には、本音では「排除したい」と思う人物が必ずいますね。でも、それでは角が立ちます。「ウマが合わない人とは、適当に距離をおく」ことを私たちは、自然に行っています。保育園の子どもたちでさえ、苦手な相手と距離をおくことができます。

 

「違いを認める」という生き方が、現代のスタンダートだとすれば、ますます「排除する」という言葉は、禁句中の禁句と言えるのかもしれません。

 

私たちが使っている言葉の中には、「排除する」のような、マイナス用語があります。無意識に使っているかもしれません。今回の選挙結果を見てもわかるように、言葉は、使い方を間違えると大変なことになりますね。

 

園長の私が、何気なく子どもたちに話す言葉で、勇気づけ、元気にすることもあれば、傷つけてしまうこともあります。そんなことを考えながら、言葉を吟味していたら、会話も楽しくなりませんが、今回の「排除する」事件を考えると、当たり前と言ってしまえばそれまでですが、「言葉」を大切にしないといけませんね。