今年もお盆は、義理の母が住む福島に来ています。昨日は、盆の入りで迎え火をたきました。迎え火は、お盆の時に先祖の霊を迎え入れるためにたく野火です。きゅうりとナスを割り箸に刺して、馬と牛に見立てた精霊馬を作ります。こういう昔ながらの習慣は大切にしたいものですね。
そして、福島の地元テレビでは、福島第一原発周辺の帰還困難区域の墓参りの姿がありました。今年の5月に、浪江町、双葉町、富岡町の帰還困難区域を通る国道6号線を車で走りました。
東日本大震災のあった6年前から、そのまま手付かずになっている国道沿いの家屋や店舗の物言わぬ姿に、そして、田畑は草が伸び放題の荒れ地になっていました。その、衝撃的な映像が蘇ります。福島第一原発入口の看板を目にした時は、何も考えることもできず、ただただ車を走らせました。
私にできることは、できるだけ福島を訪れ、福島の物を食べ、普通に暮らしていくだけですが、明るい未来をつくっていくことだけは、忘れないようにしたいですね。
さて、今日は「未来の学校」というアメリカ人の教育学者が書いた本に触れます。この本では「社会が求める学力と学校が育てている学力」の差を「グローバルな学力ギャップ」と評し、社会が求める学力が養成されていないアメリカの高校像を描いています。
もうお気付きかと思いますが、これはアメリカだけでの問題ではなく、日本もしかりです。私が、民間企業の社会人から保育園の園長という道を選択した理由の一つは、子どもたちがやがて大人になって、社会に通用する人間になってもらいたいという想いです。
社会で通用するには、学力があるという側面と別のスキルが必要になります。学校の成績とは、必ずしも正比例とはなりませんね。
著者が「社会に出て生き残るためのスキル」として挙げているのが、論理的思考力と、問題解決力、ネットワークによる協力と影響力によるリーダーシップです。この内容は、私が勤めていた民間企業では、すべて研修内容に盛り込まれていました。企業からすれば、もっとも重要なスキルとも言えます。
「一杯のチョコレートから子どもたちの笑顔へ」の本の中では、これらのことを「自分で考えて自分で答えを出す力」とうたっていますが、民間企業を経験した私には、この著者の訴えることが、十分に理解できます。
高校3年の我が次女は、大学受験に向けて、人が変わったように勉強をしています。(笑)
悪い言葉で言えば、「志望校へ合格するための勉強です」・・・親としては、今すぐに日本の受験制度が変わるわけではないので、次女が取り組んでいることは「明確な目標に向かって、懸命に取り組む姿」と受け止めています。
人生の中で、何回かは、物事に集中して取り組む経験が必要と、納得する父です。次女が、社会に出るまでに、しっかりと「社会で通用するスキル」を身につけさせなければ・・・と思う父でもあります。(笑)