72年前の朝、広島に、世界で初めての原子力爆弾が投下されました。「原爆忌」とも「原爆の日」とも言われます。
「おばあちゃんが、原爆が落ちても生き延びてくれたから、今の私があります。感謝の気持ちでいっぱいです」という小学生のインタビューをテレビで見ました。その一方で、被爆者手帳を72年経った今になって、申請をするという話も知りました。
かつては、差別を恐れて被爆を隠す人が多かったと聞きます。「原爆の放射能が伝染る」という根拠のないデマもありました。また、「地獄のような光景の中で亡くなった人たちのことを思うと、申し訳ない気持ちになる」と申請をしなかった人も多いと聞きます。
この被爆者手帳とは、原爆投下時に爆心地から一定の範囲にいた人や、2週間以内に爆心地に入った人、遺体の処理や負傷者の救護で放射線を浴びた人らに対し、被爆者援護法に基づき交付されます。手帳を持つと、医療費が原則無料となり、所持者は、全国で16万人4621人(3月末現在)だそうです。
72年という長い年月が経過して、なお、新しい事実を私たちは知ることになります。今日のNHKスペシャルでは、「原爆死・72年目の真実」というタイトルで、今までのデータをビックデータとして分析し、原爆死のあらたな真実がありました。焼圧死とは、原爆の爆風で学校などが一瞬にして崩壊・・・その下敷きになった生徒が、身動きできないまま、火災に巻き込まれて、生きたまま焼かれました。想像するだけで、言葉を失います。
被爆地から比較的離れた場所にいた人でも、その後被爆地に入り、放射線を吸ってしまったことが原因で死亡したと言われています。また、よく「死の雨」と言われる、原爆投下後に広島市内で降った雨により、被爆地に近づかなかった人も原因不明の死につながったことも分かりました。
私が小学校6年の時の担任の先生は、広島カープの大ファンでした。授業では、強制的に「カープ・カープ・カープヒロシマ・・・ヒロシマカープ♪」の球団の応援歌を覚えさせられました。(笑)「広島カープだけ、球団名の最初に『広島』という地名がくるんだ(当時)・・・この球団は、広島市民が支えているんだ。だから、応援するんだ!」と言う先生の言葉を今でも忘れません。
民間企業で働いていた頃にも、広島出身の先輩や後輩と、楽しく仕事をしてきました。そして、保育園にも、広島出身のパパとママがいます。8月6日は、そんなエピソードや面々を思い浮かべます。
私の大好きな「タカキベーカリー」「アンデルセン」も広島からスタートし、私の長男は、広島が本社の会社で、働いています。
原爆忌の今日は、広島を考えることが多くなりますが、日本が、これから取るべき行動も示唆してくれます。あすの子どもたちのために「原子爆弾」のない地球を作っていかねばならない・・・その先頭に、日本が立たなくてどうするんだ!という気持ちが、ますます大きくなってきます。
広島、長崎、そして日本からのメッセージが、世界に対して一番説得力があることは、誰もがわかっていることなのです。