JRになって30年

私が、リュックを背負って、よく一人旅に出た中学、高校、大学時代は、日本国有鉄道の列車に乗っていました。そして、1987年4月1日国鉄は民営化されて、JR北海道・東日本・東海・西日本・四国・九州の6つの旅客会社とJR貨物に分かれました。

 

今年は、JR30周年ということで、様々なイベントが全国で行われています。30年という月日は、やはり長いですね。

 

実は、国鉄は、東海道新幹線が開通した1964年から赤字に転落したそうです。この年は、東京オリンピックも開催され、私が生まれた年でもあります。悪く言えば、民営化されるまで、何と23年間も赤字を垂れ流していたことになります。民間企業では、当然考えられないことです。

 

国鉄が赤字になった原因は、色々と挙げられますが、戦争引揚者の雇用対策として国鉄に大量に採用された職員の高齢化も大きな要因です。これを非難するつもりは、まったくありませんが、当時の国鉄の給料体系は、完全なる年功序列型だったのです。時代が違うと言えばそれまでですが、これでは、やる気もわかないでしょうし、人材活用の観点では、最悪ですね。

 

そして、今では、鉄道の本業以外にも、別会社を有効に使った「エキナカ」商売など、JR東日本などは、「駅」を改革したと言えます。

 

私のかつての民間企業での仕事は、「駅」とは切っても切れない関係です。入社3年目の事・・・「国鉄清算事業団」が運営する駅構内の銘店コーナーでは、JRに残れなかった、やる気のない旧国鉄職員に販売の手ほどきをしたのです。まったく聞く耳を持ってくれなかった苦い思い出があります。

 

それから、10年以上が経ち、今度は、「エキナカ」の商売に、会社として本格的に参入する仕事を任されました。まだ、「エキナカ」という言葉が、市民権を得ていない時に、「これからは駅だ!」と、仕事に打ち込んだことも懐かしい思い出です。

 

30年が経過した今では、着実に利益を上げる本州3社と、高級列車という新しいカテゴリーを成功させたJR九州が脚光を浴びる中、個人的には「頑張れ!北海道」ですね。日本の都道府県で、一番人口密度の低い広い大地は、冬になれば、雪と寒さに、膨大な費用がかさみます。新幹線が札幌まで延びるのは、まだまだ先です。

 

このブログで、JR30年を語りつくすことは、当然できませんが、鉄道の旅が大好きな私にとって、これからの鉄道が、地域と共に存続を続け、豪華列車に乗れない私たち一般人も、楽しめるような存在であって欲しいですね。

 

あなたにとっての鉄道は・・・どんな存在ですか?