「通常級から特別支援学級に移って、生徒対応に違いは感じなかったが、教職員間の連携に難しさを感じた」と語るのは、5年前に特別支援教育の教員免許を所得し、通常級と特別支援学級の両方の経験を持つ先生の話です。
通常級と特別支援学級では「大変」の質が、学級経営の悩みが異なるので、通常級の先生には理解されない。ゆえに孤立感を感じると言います。
しかし、生徒との交流の深さでは、特別支援学級ならではの醍醐味を経験しているそうです。生徒は、障害の有無に関係なく、いつかは一人で生きていかなくてはならない。そのため、「できない」ではなく「どうやったらできるようになるかを探る」を考えるそうです。
そうなると、興味・関心などの生徒情報が必要不可欠となり、通常級での生徒のかかわりよりも深くなります。始業前や休み時間に、極力教室にいるようにしていると、物静かな生徒からも話しかけられるようになり、生徒の様々な特徴を発見できると言います。
こうして、日本の特別支援学級は、特別支援教員のスキルに守られ、学校生活を送っているとも言えます。発達障害を持つ児童生徒への対応も多くなり、日本は、特別支援学級が増える傾向にあります。
教育については、日本の先を行くヨーロッパの国々では、フォローが必要な子どもたちのための特別支援学校はありますが、普通学校の中に特別支援学級は作らない方向へ進んでいます。なぜなら、障害も個性として、「違う」という認識が高いからです。
日本では、普通学級に発達障害の子どもが一緒なら、「〇〇君は授業中に大きな声を出すから、うちの子の勉強に悪い影響が出る。何とかして・・・」なんていう保護者のクレームが実際に起きるのです。オランダなどでは、大きな声を出すクラスメイトも含めて、様々な違いを受け入れるスタンスが保護者にもあると言われています。
日本の場合は、発達障害の子どもを持つ保護者の多くは、普通学級に入れるか特別支援学級に入れるかで、悩みます。
「特別支援教員の行き届いた指導の中で、学校が好きになってもらいたい」という考えも正解ですし、「大人になって、社会に出ることを考えれば、普通学級での環境でもまれる方が強くなる。そして、親が気が付かない可能性も期待できる」という考えも正解です。最後は、親が選択するしかありません。
日本は、移民もありませんし、島国という環境から、同一民族としての意識が強く、「違いを認める」という考えは、口では「そうあるべきだ」と言っていても、実際は、そうなっていないところが多いのかもしれません。
オランダのような環境なら、私も「特別支援学級なんかいらない!」に賛成票を入れるのですが、今の日本では、理想と現実を判断しなければなりません。子どもの成長と保護者の考えを尊重し、最善の選択を実行し、軌道修正したっていいんだよ・・・と、今の段階では、これしかありませんね。