「学問」の意味は、その字のごとく「問うて学ぶ」ことから始まるものですね。質問なくして学問は成り立ちません。
しかし、日本の学生は、私が学生だった昭和に時代からですが、「質問しない」学生が多いと言われています。特に、欧米諸国の目からは、「なんで質問しないの?みんな、この講義で理解したの?」と不思議に思われています。
そして、最近の学生は、さらに「質問しない」とのことです。授業中に、板書をスマホで撮影するので、ノートにとる習慣が少なくなってきています。「書く」という行為は、自分の言葉で文章をまとめる『能動的』な行為なので、当然質問力もついてくるのです。
これは、学生側だけでなく、小中学校などでの教育のありようにも問題があると言われています。例えば、授業の最後に「何か質問がある人」と挙手を求める教員が多く、これは、質問が出なければ終わり、質問がなくなるのが「ゴール」という無言のメッセージを送っていることになるようです。これでは、「早く授業を終わらせるために、質問なんかしないよ・・・」となり、質問力が育つわけがないと京都大学の塩瀬准教授は言います。
次々に質問を生み出す行為として何が効果的か。それは、「書く」だけでなく「読む」を挙げ、媒体としての本や新聞などの「紙」を重視します。
本や新聞には、インターネットや動画と異なり映像も音もない。「だからこそ、想像力や思考力を鍛えるには最高だ」と塩原教授は話します。本や新聞を読みながら、人間の脳は足りない情報を補って、あいまいな点や疑問を整理し、解決しながら自分のものにしています。
インターネットを「流れるメディア」とするなら、紙媒体は「立ち止まるメディア」・・・立ち止まって、「あれ?」と首をかしげる。そこに、問いがたくさん生まれるのでしょう。
そう言えば、おやじ園長の「一杯のチョコレートから子どもたちの笑顔へ」の中で、子育てにおける、たった3つのポイントの中に、「子どもから多くの『問い』を引き出す」というのがありましたね。
当然、そのやり方は1つの方法ではなく、子どもによって違ってきます。大人のあなたが考えてください。(笑)
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