今日は、ホワイトきゃんばす始まって以来の、ママのお腹の中の赤ちゃんの入園が決まりました。というのは、3月出産予定のママ・・・今日は、パパも一緒に保育園の見学にやってきました。7月をめどに復職します。そこで、今から保育園探しをしていました。
ホワイトきゃんばすの異年齢保育を中心とした活動に、以前から興味を持っていたようで、今日の確認は、ホームページなどの情報と、実際の保育園と園長の話にギャップがないか・・・ということだったようで、結論は、ギャップがないと受け止めていただきました。(たぶん?)
ここ最近の見学者の傾向として、「異年齢保育の取組みに興味がある」という発言が目立つようになりました。かつては、異年齢保育の言葉の説明から始めることが多かったので、こうして、多くの保護者が、「待機児童が多いから、どこの保育園でも入れればそれでいい」から、我が子の成長と将来を考えた保育園選びを真剣に行っている姿が多く見られます。とても、いい傾向ですね。
さて、話は変わりますが、昨夜は、約30年ぶりに、大学のソフトボール部で、1年後輩の仲間と有意義な時間を過ごしました。彼は、我が部を全国大会まで、導いた本格派のウインドミル(手をぐるりと回して投げる投法)のエースでした。抜群の身体能力は、今でも外見上は衰えていません。(笑)
また、高校時代は、あの腹話術で有名な「いっこく堂」さんの親友で、沖縄のテレビ番組では、よく、2人そろって登場しています。「いっこく堂」さんは、高校時代からストイックだったそうで、30歳を過ぎてからブレイクするまでの挫折人生をじっくり聞くことができました。
後輩の彼は、沖縄の琉球銀行に勤めた後に、地元の建築、不動産業の会社社長をしています。今回は、有能な中途入社の人材探しの東京出張です。「いっこく堂」さんの話だけでなく、沖縄の話を熱く語るという展開になりました。
私たち内地(沖縄や北海道の人は、本州の人をこう呼びます)の人は、沖縄で起きている、基地がらみの問題をどうしても、自分のことのようには考えることができません。そして、身近に沖縄出身の人が多くいるわけでもないので、基地問題は、ニュースでの出来事で終わるのです。
沖縄が日本に返還された時、彼はまだ小学生だったそうですが、夜の0時を機に、道路が右側通行から左側通行に変わったことが印象に強く残っているそうです。彼の話では、今から20、30年前では、沖縄に基地があることで、仕事や生計を維持する県民がたくさんあったが、今の沖縄は、経済含め成長している。今なら、沖縄から基地がなくなっても、その跡地利用などで多くの産業の発展が期待できる。と言います。
もちろん、彼の意見は、一沖縄県民の意見ですが、時代の流れの中で、確実に「沖縄」の変化を彼の言葉の中で、感じることができました。
保育園ママの両親も、数年前に沖縄移住を実現しましたし、私も学生時代に経験した、沖縄の離島での旅を一生忘れることがないでしょう。今日のブログは、そんな、沖縄の話でした。
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