私事ですが、プールで飛び込みをやったのはいつだっただろうか?と、なかなか思い出せないほど、しばらく飛び込みをやっていません。子どもを連れて行くようなプールでは、ほとんどが飛び込み禁止ですね。
私が小学生の頃に通っていたスイミングスクールでは、当然のように「飛び込みの練習」がありました。いかに遠くへ水の抵抗なく飛び込むか・・・腹を打って大きな水しぶきは論外ですが、きれいに頭から飛び込んでも角度がわるいと、そのまま水底に頭を打ってしまいます。私も、指が水底につくことが何度もありました。
実は、運動会での「組み体操」のように、この水泳での「飛び込み」も、全国の教育委員会の中では、独自に禁止しているところが増えているそうです。もともと、小中学校の学習指導要領では飛び込みを行わず、「水中からのスタート」の指導を求めています。高校でも、飛び込みで頭を打ち首の骨を折るなどの事故が相次ぎ、授業での飛び込みを禁止する県も出てきました。
「授業で教える水泳は本格的な競技ではなく、危険性が潜む飛び込みを教える意義は見いだせない。国は、小中学生と同様に、高校の授業でも飛ぶ込みをさせず、『水中からのスタート』とすべきだ」と指摘する大学教授もいます。
問題は、こうして、学校から「危険だから・・・」と、様々な取組みが禁止に追い込まれることです。学校責任を問われる場面が、今の時代では、本当に多くなり、責任回避の選択を学校側が取らざるを得ない状況もあります。
しかし、冷静に考えれば、「危険なことを何もさせない」ことは、「危険を経験しないで育つ子どもたち」を多く発生させることにつながります。保育園の屋上遊びでは、子どもたちは自転車を「先生見て見て!」と風のように乗りまわします。時には、ブレーキ操作を誤って、または、前から来る乗物を回避しようとバランスを崩して、転倒することもあります。そこには、すり傷などの痛みが伴います。
ところが、そんな経験をしているうちに、前方数十メートルを見ながら運転する「危険予知」という行動が取れるようになるのです。子どもたちは、小さな危険を経験することで、命にかかわる大きな事故を回避するすべを学んでいる・・・といったところでしょうか。
どこまでが、命にかかわる内容で、どこまでが小さな危険なのかという線引きは、できないことが多いので、「危ないものは全面禁止」となるのです。私たち大人は、親も先生も含めて、子どもたちの命を真剣に考えた時に、「小さな危険を経験させること」や、その環境を整えることが重要だと気付きます。
ダメダメダメ・・・は簡単ですが、見守ることは、とても難しいです。しかし、元気でたくましい「このくらいのすり傷・・・へっちゃらだよ・・・」なんて、笑って言ってくれる子どもたちを育てたいものです。
コメントをお書きください