このタイトルを見て、「アンネフランクは実は生きていた!」なんて、軽々しく思わないでくださいね。
実は、「アンネの日記」を残したアンネ・フランク同様、ナチスドイツ占領下のオランダでの隠れ家生活の様子をつづったユダヤ系少女の日記が、オランダで出版されたそうです。アンネとの大きな違いは、少女が隠れ家生活を生き抜いたことです。11月で90歳を迎える著者のカリー・ウルライヒさんは、2年前、恩師の名前を調べようとして、自分が日記をつけていたことを思い出したそうです。
日記は、カリーさんが15歳だった1941年12月から始まり、1945年5月の終戦まで続きます。
「この前は夜11時に、隠れ家の呼び鈴が鳴り、みんな慌てて跳び起きました。近所の人でしたが、警察だったら私たちはもうダメだったでしょう」(1944年3月27日)
「隠れ家に捜索が入りました。幸運なことに、私たちは何とか生き延びました。でも、大勢の人々が、私たちと同じような幸運に恵まれなかったようです」(1944年11月10日)
「何やら外が騒がしく、見てみると大勢の人が通りに出ていました。平和が突然やってきたのです!あまりにもうれしくて・・・私は感動のあまり、泣き崩れてしまいました」(1945年5月6日)
ドイツが、積極的に移民を受け入れているのは、ナチス・ドイツという負の遺産を払拭する為でもあります。そして、あの有名な、腕を胸に当てる「ハイルヒットラー!」のポーズは、ドイツでは厳禁です。過去には、サッカーでゴールを決めた後に、この「ハイルヒットラー!」のポーズを取った選手が永久追放となったこともあるそうです。
戦争が残した、悲しく、痛ましい出来事は、この第二次世界大戦だけでなく、現在でもこの地球上からなくなりません。日本においても、広島、長崎の被爆者も高齢化で、その歴史を自己体験として語れる人が、数少なくなっています。
このカリーさんの「生き抜いたアンネ」の日記は、日本語版の出版に向けて、動いているそうです。次世代に、残さねばならない大切な歴史の一つになることでしょう。
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