雨続きで、運動会のグランド練習ができないと嘆いても仕方ないので、今日は教室内で、競技種目の1つ、サーキットレースの練習をしました。挑戦するのは、寺子屋園児です。
流れ星に見立てた、ボールの的当てがあるのですが、意外にも「ボール投げ」が上手にできない園児が何人かいました。「パパとキャッチボール」というのは、昭和の風景かもしれませんが、夕方の自由時間では、ボール投げの特訓です。投げ方の基本を教えながら、得意な園児はさらにスピードアップ、苦手な園児は少しずつ自信を持たせます。
さて、「がっぱ」は、石川県の方言で「一生懸命」という意味だそうです。そんな、新米教師「がっぱ先生」が奮闘するテレビドラマに、素直に感動しました。
5年2組の担任となった「がっぱ先生」は、運動会の大縄跳びで、クラスで優勝に導こうと張り切ります。しかし、足のケガが原因で、大縄跳びに恐怖心を持つ児童が、クラスの足をひっぱります。
そこで出した結論は、優勝のために、その児童を応援係にして、競技に参加させないという内容です。当事者の児童もクラス全員も、その時は納得して、運動会を迎えようとしていました。しかし、子どもたちの本心は、違っていたのです。
「できない子を排除して、目標の優勝をめざす」「たとえ優勝できなくても、クラス全員で競技に参加する」のどちらを選択するか・・・運動会の前日になって、5年2組の話し合いが行われます。「がっぱ先生」も、「クラスを優勝させて、新米教師と言われる自分を、凄いと認めさせたかった」という最初の気持ちを素直に語ります。
なかなか見ごたえのある、話し合いの時間でした。子どもたちが、最初は、好き勝手を言い、大縄跳びとは全く関係のない、悪口や中傷に走るのですが、徐々に、この問題の本質を考えながら、自分の意見を勇気を出して言えるようになります。
クラスの結論は、「みんなで跳ぶこと」となりましたが、この結論が正解だったかどうかはわかりません。アスリートレベルの競技者ならば、優勝や金メダルを目指すために、非情な結論を出さなくてはいけない時もあるでしょう。このドラマで大切なことは、児童一人一人が、自分で考えて、答えを出したことです。それが、正解か否かは、この内容の本質ではありません。
保育園の子どもたちを見ていると、「子どもは、素直で純粋で・・・」と言いたいところですが、すでに、大人の顔色をうかがう・・・自分に都合の良いウソをつく・・・ことも、ちゃんとできます。私たち大人の行動と何ら変わらないところもあるのです。
「それはアカン!」ではなく、大げさな言い方かもしれませんが、子どもたちも生きるために、必死にその場を取りつくろうともがくのです。そんな、子どもたちの「本心」に私たち大人は、気が付かないといけませんね。
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