例えが良くないかもしれませんが、「殺人事件」では、刑事が犯人を捜す時に、必ず動機があるかどうかを調べます。加害者側の動機を明白にすることはあたりまえの捜査内容ですね。
今まで、児童、生徒に対して学校が、「いじめは人として最低なこと。絶対やってはならない。」と啓蒙したり、いじめの被害者をケアすることは、当たり前におこなわれてきました。しかし、いじめをなくす手段として、いじめをした加害者の扱いについては、まだ不十分であることは否めません。
いじめをする側の動機を徹底的に洗い出す作業を学校としても、もっと大きく言えば国としても、ほとんど出来ていなかったのではないかと思います。
ここでは、悪質ないじめではなく、加害者もいじめをしているという感覚でないような、多くの学校で普通に発生するいじめの原因は何か?を考えてみます。
「あいつ・・・ちょっと変わってない?」「あいつ考えが変だよな~」
おそらく、こんな些細なことがスタートになっているのかもしれません。この「変わっている」とか「変」とかいうのは、自分を含む多くの人達と、「違う」ということです。大人になれば、「私はこう考えるけど、あの人は、そう考えているのだから、すぐには合意できないかな・・・」と納得できるのですが、小学生や中学生にとっては、「違う」ことを受け入れられないで、否定してしまう子どもたちが少なくありません。
この「否定」が、いじめへつながることが多いと考えます。
いじめが起こりにくい学級運営などを研究する、千葉大学の藤川教授は、「多くの教員は、クラスに相性の合わない相手がいたとき、どう受け入れるかを児童生徒に教えない。だからいじめが起きる。教室にはいろんな子どもがいて当たり前、異質だと感じるものを許容できるようになっていくのが本質的ないじめ解決の道だ」と言います。
今、さかんに言われている「違いを受け入れる」ということが、クラスの中で当たり前に行われていれば、相性の合わない子とは上手に距離を置いたり、自分の考えが否定されても、別の考えだってあることを理解できるようになるのです。
「○○くんの考えはわかったよ。でも○○ちゃんは、少し違って、こうしたいと思っているから、わかってあげようよ。どっちが○でどっちが✖ということはないよ」こんな、やり取りが保育園ではよくあります。5歳、6歳になってくると、友だちが自分の考えと違うことがあることを少しづつ、受け入れられる園児もいます。
日本全国にはびこる「いじめ」をなくす、本質的な解決策のひとつは、子どもたちが「違いを受け入れる」ことを当たり前になる世の中にしていくことかもしれません。
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