江戸時代、各藩には「藩校」という学校があり、いわゆる武士に生まれた男子が通っていました。会津藩には、日新館という藩校があり、当時、およそ250あった藩校の中でもトップクラスの教えをしていたと言われます。
大河ドラマの「八重の桜」で、政府軍と戦う会津藩で、八重がスペンサー銃を持って、鶴ヶ城で戦闘するシーンがありました。敗軍となった会津藩にもかかわらず、明治になり、日新館で学んだ子どもたちの中から、あすの日本を担う人物が多く輩出されています。
「ならぬことは、ならぬのです」という有名な、日新館「什(じゅう)の掟」というのがあります。日新館に通う6歳~9歳までの子どもたちが、地区ごとに「什」というグループを作ります。
「年長者の言うことに背いてはなりませぬ」「虚言をいふ事はなりませぬ」「弱いものをいぢめてはなりませぬ」といった、「什の掟」を今日一日守ったかどうかをリーダーを中心に、1日の最後で話し合うそうです。
子ども同士の決め事ですが、もし掟を破ったら、一番軽い刑は、皆の前で「無念でありました」とお詫びをすること。一番重い刑は「絶交」だったそうです。
現代で言えば、小学校1年生から4年生までの異年齢クラスといったところでしょう。
今年もお正月は、福島で過ごしています。昨日は、会津の「日新館」を訪れて、そんな子どもたちの学びを想像していました。
ただし、この時代は、すべての子どもたちではなく、武士の子だけです。しかも、男子だけで、女子は学校には行けません。ほんの100年ちょっと前の日本の教育と現代の教育では、男女誰でも学ぶ機会がある・・・というのが大きく変わったことですが、学びの本質は、変わらないものですね。
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