育休退園

所沢市が4月から始めた「育休退園」・・・第2子以降が生まれて親が育児休暇を取った場合は、上の子は原則退園・・・が波紋を呼んでいます。


この背景にあるのは、各自治体が「子ども・子育て支援をどれだけがんばったか・・・」という目標が、待機児童解消になっていることです。新制度は子どもを生み育てることを幸せと実感してもらい、少子化への歯止めにつながることが大きな狙いです。


どうして、待機児童解消が第一の目標になるのかというと、数値化されるからです。すでに、厚生労働省から平成27年4月1日現在の自治体別の待機児童が発表されていますが、待機児童を減らした自治体は「頑張ったな!」で増やした自治体は「何してたの!」となるのです。


所沢市も、育休退園によって、順番待ちの待機児童数が解消できるという考えです。


有識者の見解は、「子ども・子育て新制度は従来よりも仕組みを改善していかないといけないのに、後退させてはいけない」とか「福祉の観点でみることが重要で、個々の事情の優先度を勘案しつつ、待機児童解消を積極的に行うべきだ」と、まさに評論家発言で、具体性に欠ける印象は拭えませんね。


保育現場で働く「おやじ園長」の見解は、子どもの成長からこの問題を考えます。


現在、保育園ホワイトきゃんばすには、育休、産休中で、上の子を預けている家庭は4組もあります。認可園ではないので、もちろん退園はありません。


下の子が生まれるということは、上の子にとっては、今までママを独り占めしていた環境に、大きなライバルが現れることになります。そして、ママの愛情は、手のかかる下の子に物理的には取られます。上の子は、大ピンチです。赤ちゃんがえりをして、ママに振り向いてもらおうと過剰に甘えたり、ママの見ていないところで、下の子をいじめます。


こうなると、たいがいのママは、子育てが苦痛となり、精神的にも安定できず、十分な子育てができないことにつながります。待機児童解消だけでなく、こうしたママを救うことが、行政の大事な役割ですが、ママの精神的苦痛は、数値化されず、目に見えないこととしてスルーされてしまいます。


上の子を保育園に預けることで、下の子の面倒含め子育てに余裕が出来るだけでなく、上の子は、保育園で、他の園児との関わりの中で家庭で過ごすよりも、大きく人間関係力が成長します。


ホワイトきゃんばすは、異年齢保育ですので、上の子は、保育園でベビーや1歳児との関わりで、逆に優しいお兄さんやお姉さんとなっていきます。家庭で下の子をいじめることが少なくなったとよくママは言います。


主語を「子ども」とすれば、「子どもの成長にふさわしい環境はどうあるべきか・・・」となりますし、主語を「保護者」とすれば、待機児童解消もありますが、「楽しい子育てをするにはどうすればよいか・・・」が一番でしょう。


すべての母親に当てはまるとは言いませんが、おやじ園長としては、下の子が生まれれば、上の子を保育園に預けて、心に余裕のある子育てをしながら、上の子はたくましく育つ・・・という環境がいいと考えます。


さて、みなさんはどう考えますか・・・

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コメント: 1
  • #1

    立場違えば正義が変わる (火曜日, 30 6月 2015 06:23)

    こんにちは.
    それぞれに言い分はあるのですね。
    では、『待機児童さんとそのお母さん』の立場からすればどうでしょうか。
    例えば、保育園に預けられず働きたくても働けず日々の生活も逼迫してきている…この先いつ順番が回って来るかわからない。無認可に預ける余裕が有れば働こうなんて思わない…そうして母親は日々ストレスを溜めながら子供と向き合うのでは?
    同じ母親として、そういう親子に対してどんな気持ちなんですかね?会見であんな言い方をしているようでは「うちの子一番!よその子が貧乏にあえごうが、イライラした母親に育てられようが知った事ではない!認可保育園増やせ!私たちの為に子供の居ない家庭もお年寄りももっと税金払いなさいよ!」
    と言っているように取られても仕方がないと思いますよ。前々他の立場の人のこと考えてない、無知で傲慢な母親だな…って。
    賛同するのは同じような立場の人だけ。

    それに認可保育園を増やすのも正解ではありません。
    認可保育園を増やすと言うことは、税金を使うと言うことです。保育園を利用しない市民にとっては、保育園をバンバン認可にして税の比重を傾けたり、増税する事はもちろん大反対でしょう。
    この問題は答えは無いのです。
    お互いに納得できなくても、意見を交換しながら色々な立場の考え方に寄り添って歩み寄るしかないのです。
    そういう話し合いの場に子供を同席させるのは構わないと思いますが、相手を分かろうとせず、拒絶し、批判し、碇をぶつける場に子供を同席させるのはいかがなものかと思いました。