2000年に来日した15歳の少年は、身長175センチ体重70キロのとても力士になる体ではなかったそうです。当然、どの部屋からも声がかからず、帰国前日になってようやく宮城野部屋への入門が決まり、昨日33回目の優勝という前人未到の記録を打ち立てました。
横綱白鵬関が「各界の父」と慕った32回優勝の大鵬関は多彩なライバルの中で自分を磨くことができましたが、白鵬関は好敵手がおらず、八百長問題など、大相撲の存続が危ぶまれた苦しい時期を支えた事を考えると、心技体すべてにおいて、すばらしい横綱ですね。
今日、保育園で子どもたちの前で、土俵入りのシコを踏んで見せてみると、すぐに「お相撲さんだ!」と声が上がりました。野球やサッカー、最近ではテニスだけでなく、子どもたちはちゃんと「相撲」を知っていたので、少し嬉しくなりました。
私の少年時代は、すでに大鵬関は引退していました。現理事長の「北の湖」の時代です。憎らしいくらい強い北の湖に、右上手を取られても、唯一黄金の左下手で互角に戦えた「輪島」や亡くなられた「貴ノ花」などの時代から、31回優勝の千代の富士の頃までは、学校から帰ると相撲のテレビ放送に釘付けでした。
その後、大相撲の国際化が進みます。小錦、曙、武蔵丸のハワイ勢の台頭、そして現在のモンゴル出身の力士・・・「国技」である相撲に「日本人がふがいない」という声がどれだけ上がったことか。
今場所、残念ながら負け越しとなってしまった逸ノ城関は、毎年帰る故郷が違うといいます。日本では考えられないことですが、彼は「遊牧民」ですので、同じ場所に定住しないのです。そんな話を聞くと、「相撲」が日本だけでなく、世界に広がっていくのはむしろ喜ばしいことと考える時代になってきたのかもしれません。
柔道のように将来はオリンピック競技になるやもしれませんし、横綱白鵬関の33回の優勝を機に、色々なことを考えますね。
今一番に考えるのは、保育園で子どもたちに相撲を取らせてみたいですね。遊びではなく、ちゃんと「ホワイトきゃんばす○○場所」として、横綱、大関もつくります。子どもたちの体力作りやバランスを身に付けるだけでなく、勝つ喜び、負ける悔しさなど精神面でも鍛えたいですね。真剣に考えてみることにします。
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