昭和ひとケタ生まれの、私の父の時代には、まだ給食はありませんでした。お弁当です。あまり裕福な家庭ではなかった父は、弁当を堂々と食べることができず、お昼が苦痛だったそうです。
そんな中、「銀シャリ」を贅沢に食べる同級生もいたそうですから、このお弁当の時間は、人間の不平等について学べた時間だったのかもしれません。
今日の朝刊のコラムで、1980年に向田邦子さんが、自分は中流と考える人が約9割というのは、学校給食の影響だろうと語ったそうです。「毎日一回、同じものを食べて大きくなれば、そう考えるようになって無理はない」と。
そんな、学校給食が、戦後貧困の日本を、子どもたちの空腹を支えたのですが、それは「ララ物資」という、アメリカが1946年6月に設置された日本向けの援助団体の存在があったからだそうです。アメリカサンフランシスコ在住の日系人浅野七之助さんが中心となって支援が始まり、日系人を中心に、6年間で、当時の400億円という莫大な金額の食糧や衣料、医薬品が、日本の子どもたちを救ったそうです。
当時、助けられた日本は、60年たった今は、世界の貧困国への支援をしています。まさに、恩返しをしているのですね。
今、大きなニュースとなっている「イスラム国」の日本人人質事件で、人質となっているジャーナリストの後藤さんは、世界の子どもたちの貧困を訴え、取材をしていました。
イスラム国の台頭に伴って苦しんでいる人々への人道支援もまた、日本にとっての恩返しとなればと考えます。無事に帰ってきてもらうことを祈ります。
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ひでっち (土曜日, 24 1月 2015 21:32)
土門拳さんの『筑豊のこどもたち』という写真集に「弁当を持ってこない子」という写真があります。ここに直接画像を貼れないので、よろしければ、筑豊のこどもたち で画像検索いただいたら必ず出てきます。
いつ、どこに生まれるかは自分では決められないことかとは思いますが、「今の」、「日本」に生まれたことをどう受け止めるかですね。