先日、アメリカで29歳の女性が、医者に末期の脳腫瘍で余命6ヶ月と診断され、安楽死を選択しました。
この報道は、日本だけでなく世界中で大きく取り扱われました。事前に、自分は安楽死をするとネットを通じて告知していたからです。
そして、その予告通り、愛する家族が見守る中で、女性はこの世を去りました。
アメリカでは、このオレゴン州含め、5つの州で安楽死が合法化されているそうです。
この問題・・・正直、答えがない問題です。「自分の死の選択は個人の権利である」という立場を安楽死を推進するグループは主張します。
しかし、「自殺を美化することにつながり、自殺者が増える」と反対の考えも当然あります。
もちろん、私には結論は出せません。今は、健康な状態である自分も、現実に余命を宣告されるようなことがあれば、どう考えるか、想像もできません。
でも、安楽死や尊厳死について考えることはできますね。様々な「違う」考え方を受け入れることが大事なのかもしれません。そして、答えが出なくとも、それぞれの人間にとって、「命」というものが、大切に扱われるものであればいいのではないかと考えます。
保育園の子どもたちが、大人へと成長するにあたって、このような「答えが出せない」ことに何度もぶち当たります。色々な違う考えを受け入れながらも、最後は自分なりの答えを見つけることができれば、いいのではないかと思っています。そして、そんな大人に成長してもらうように、私も簡単に「答え」を子どもたちには出さないことが多いです。
「○○ちゃんだったら、どう思う?」これが、大事なことですね。
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こんばんは (土曜日, 15 11月 2014 21:40)
『死』と『生』については答えがないというより、答えてはいけない問題という表現が適切なのかも知れないと私はよく考えます。
なぜなら、それこそ物心ついたばかりの子供から、お歳を召した方まで全ての人のなかにはそれぞれに答えは持っている。100人いれば100の違った答え。だから、『生と死はこうあるべき』と決めつけてしまうことは間違いだと思っています。
そうであるからこそ、その考え方を聞けばその人の価値観と人間性を垣間見る事ができるのだと思います。