ノーベル平和賞に、女子教育の権利を訴えた17歳のパキスタン人の女子学生が選ばれました。
世界では、小学校に通えない子は約5700万人だそうです。日本に暮らす私たちには、義務教育の小学校に入学するのは当然で、それ以前の幼児期にも保育園や幼稚園にほとんどの子どもたちが通う事を考えると、実感が伴わないですが、日本の人口の半分という凄い数字です。
また、5歳から14歳の14%が児童労働をさせられ、女子の11%が15歳を前に結婚という実態が「世界子供白書」でも報告されています。ホワイトきゃんばすにも、ユニセフから定期的にレポートが送付されますが、心が痛む報告が多いのが実態です。
マララさんの受賞とその行動力を目の当たりにすると、正直猛反省です。自分が17歳の時にどれだけのことをやってきたのか・・・今の日本の17歳の若者たちは、ここまでの行動力が伴っているか・・・
過去の自分は、もう取り返せませんが(笑)、今の日本の若者は、まだまだ変わることができますね。マララさんという17歳の女子学生の受賞を機に、多くの大人たちも、そして多くの若者が、自分の生き方を見つめ直すことにつながればいいですね。彼女と同じことはできませんが、自分にできることはそれぞれにあるはずです。
ノーベル平和賞受賞後のマララさんのスピーチを聴きました。その中で「女性は母親や姉や妹、そして妻であるだけではなく、アイデンティティーを持ち、認知されるべきです。」という言葉がありました。
どうしても、この言葉を保育園ママにあてはめてしまいます。保育園ママは、子育てをする母親という役割がありますが、それだけではありません。働いて社会に貢献すること・・・働いて自分のやりたいことをつかもうとしていること・・・ひとりの人間として自分の時間をつくること・・・生活のために働くということがスタートでも、働くことはお金を稼ぐことだけではないことをママたちは感じているに違いありません。
マララさんは、同じくノーベル平和賞を受賞したインドのカイラシュ・サティヤルティさんと受賞を分かち合えたことを喜びます。パキスタンとインドは国境をはさんで対立が続いているからです。
国境という概念が島国日本ではありませんので、国境を挟んでの緊張感を日本人は実感することがないでしょうが、平和への想いは、被爆国日本人が願うところと一緒ですね。
ノーベル賞の話は、保育園の子どもたちにしたいですね。どういう言い方やたとえ話で伝えるか難しいですが、考えてみます・・・
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