体罰報道

先日の報道で、東京都の教育委員会が、都内公立学校における体罰の実態把握について発表をしました。

 

2,184校の校長、教職員、児童生徒対象にし、教職員は校長による聴き取り調査、児童生徒については質問紙調査を行ったそうです。

 

結果、体罰と考えられるものは、126校155人、不適切・行き過ぎた指導の疑いが384校666人ということです。

 

当然、この数字に反映されない多くの実態もあることでしょう。

 

元Jリーガーが、子どもへの指導で「蹴り」を入れて怪我を負わせた報道があったばかりです。

 

さいたま市内の小学校の校長先生が、歓迎会に遅刻した教師に、体罰を与えたという報道もありました。

 

また一方では、こんな事例がありました。

 

ある小学校5年生のクラスで、子どもたちは授業に集中せず、ほぼ学級崩壊に近い状況だったそうです。担任はノイローゼになり休職、ピンチヒッターの担任に期待がかかりました。

 

新担任は、席に着かない少年Aを3回口頭で注意しましたが、少年は無視しました。そこで、担任は平手打ちで少年を席につかせました。これを機に、学級崩壊は収まり、まじめに勉強する子どもたちにとっては、理想のクラスとなりました。

 

少年Aの保護者も、家での態度も改善されて、担任には大いに感謝しているのですが、「平手打ち」という行為は、体罰ではないかと、一部の保護者からクレームとなり、この担任を支持する保護者と非難する保護者で二分されたそうです。

 

大げさですが、戦前の軍国主義的な指導が根強く残った日本は、戦後もしばらくは、「先生=絶対的なもの」で、親が口出しすることはほとんどありませんでした。この時代には、今で言う体罰は、日常茶飯事だったに違いありません。

 

そして、時代が変わり、体罰が発生しやすいスポーツ(部活)においては、世界の指導法や考え方が入ってきました。精神論や根性論ではなくて、理論的なトレーニングやメンタルトレーニングです。

 

教育現場の中での大きな変化は、保護者への対応の比重が何十倍にも多くなったことです。そんな環境の中、「体罰はあってはならないもの」という考えが、きちんと話されるようになりました。

 

ここで、体罰の歴史的背景を評論しても仕方ありませんが、必ず、いえることは、100の事例があれば、100の解決策があるということです。いじめの問題と同じで、一つのモノサシだけで「こうやって撲滅しましょう・・・こうして対処しましょう」はないということです。

 

ホワイトきゃんばすの保護者の中には、「うちの息子が悪いことをしたら、どんどんひっぱたいて怒ってください」とおっしゃる方もいれば、口には出しませんが、そんなことをされたら、子どもがかわいそうという方もいらっしゃるでしょう。

 

子どもたち一人一人・・・保護者一人一人の対応が必要ということです。

 

保護者の皆様の中には、自分の子どものことは自分が一番知っていると思っていらっしゃる方がいます。でも、家では決して見せないような行為(悪いことばかりでなく良い事もたくさんあります)を親の知らない所では見せることも多いのです。学校であったり、幼稚園や保育園では、自分の知らない子どもの行動があるものだ・・・という柔軟な考えが大切です。

 

結論は・・・親の知らない子どもの行動にも落ち着いて対応することも親の成長の一つと言えるのではないでしょうか。(偉そうですみません)